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孟子の名言

孟子(もうし、簡体字: 孟子、拼音: Mèngzǐ、紀元前372年? - 紀元前289年?)は、中国戦国時代の儒学者、思想家。姓は姫、氏は孟、諱は軻(か)、字は子輿(しよ)か。亞聖(あせい)とも称される。「子」は先生という意味で尊称。孔子の孫である子思の門人に学業を受けたとされ、儒教(特に朱子学)では孔子に次いで重要な人物とされる。そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。 言行は『孟子』に纏(まと)められている。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。
求むればこれを得、捨つればこれを失う

悪を責むることは朋友の道なり。
自ら省みて縮くんば千万人といえども我行かん。
人のために泣く奴しか信用できない
できないのは、やろうとしないからだ。できないからではない
試みが失敗に終わったら自分の落ち度をまず探せ。それを正すことができれば世界は後からついてくる。
道は近くにかならずある。どこか遠くを探し回る必要はない。
聖人だろうが、凡人だろうが、同じ人間だ。そのことを理解すれば、 『凡人も努力して聖人になれる』 ことも、 『聖人が怠惰して凡人に成り下がる』 ことも、想像にた易い
自分で反省してみて間違っていると思うなら、たとえ相手がどんな賤しい身分であっても学ばなくてはいけない。自分で反省してみて正しいと思うなら相手が何千万人の大勢であってもおそれず進んでいくがよい。
力をもって人を服するのは、心から服するにあらず。徳をもって人を服するは、喜んで真に服するものなり
天の与える好機は地理的な有利さに及ばず、地理的有利さも人心の一致には及ばない
どれほど優秀な知識も、時の情勢をうまくつかんで事を行なうことには遠く及ばない。どれほど素晴らしい農具も、耕すのに最適な時期に耕すことには及ばない。
他人を思いやる心こそ、人の心である。道徳にかなった行動こそ、人の道である
木に登って魚を探しても見つかりはしない。方法を誤っては目的のものを得ることはできない。
自分で自分を尊重せず、軽々しい言動をしたり、修養を怠ったりしていると、必ず人からも侮られるようになる
人を愛しても親しまれないときには、自分の仁愛の心が足りないからではないかと反省するがよい。
本を読んで、それを真に受けるだけなら読まない方がいい。
人間は誰でも他人の不幸を見過ごせない素晴らしい心を持っている。
至誠を尽くせばこの世に心が動かない者などいないのだ。
過ちを直さなければ、進むべき道は見えてこない
真の「士」たるものは簡単に志を捨てるものではない。やめてはならない時にやめてしまう者は何を行っても中途半端にしかできない。
市場に人が集まるように、仁徳のある人のところに人々が慕い集まる
人の患いは、偉くもないのに自分から好んで人の師となろうとしたがることである
自らがねじれている人間が他人をまっすぐにできた事など聞いたこともない

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