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東郷平八郎の名言

東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、旧字体: 東鄕平󠄁八郞、1848年1月27日〈弘化4年12月22日〉 - 1934年〈昭和9年〉5月30日)は、日本の海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。各地の東郷神社に名を残す。位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。 日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。日露戦争では連合艦隊司令長官として指揮を執り日本海海戦での完勝により国内外で英雄視され、「陸の大山、海の東郷」「東洋のネルソン(The Nelson of the East)」と呼ばれた。 山梨勝之進は「世界史的な観点から海軍の名将を列挙するならば」として8名の提督を挙げた上で、ホレーショ・ネルソン、デヴィッド・ファラガット、東郷平八郎の3名について特記している。 明治時代の日本海軍の指揮官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献し、日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げた一人。日露戦争においては、連合艦隊を率いて日本海海戦で当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍バルチック艦隊を一方的に破って世界の注目を集め、その名を広く知られることとなった。当時、日本の同盟国であったイギリスのジャーナリストらは東郷を「東洋のネルソン」と、同国の国民的英雄に比して称えている。日本では、大胆な敵前回頭戦法(丁字戦法)により日本を勝利に導いた世界的な名提督として、東郷と同藩出身者であり同じく日露戦争における英雄である満州軍総司令官・大山巌と並び、「陸の大山 海の東郷」と称され国民の尊敬を集めた。
訓練には制限はありますまい。

乃木は実によく戦った。最善を尽くして戦っていたのじゃ
気力に欠くるなかりしか(気力に欠けているところはなかったか)
至誠にもとるなかりしか(誠実さを失っていることはなかったか)
武人の一生は戦いの連続
やはり示現流
兵器に格差があるときには、百発百中の大砲一門だけで、百門をもっているが一発しか当たらない大砲群と互角に戦うことができる。
努力に憾みなかりしか(努力に足りないことはなかったか)
だったら海軍が良い。陸軍は死ぬからな、入るのなら海軍だ
言行に恥ずるなかりしか(言葉と行動に恥じるところはなかったか)
降伏するのであれば、その艦は停止せねばならない。しかるに、敵はいまだ前進している
東郷は、運の良い男でございます。しかるに、必ずや勝利致しましょう
遇直と笑わるるとも、終局の勝利は必ず誠実な者に帰すべし
咲くもよし散るもよし野の山桜、花のこころは知る人ぞ知る
皇国の興廃この一戦に在り、各員一層奮励努力せよ
神明(しんめい)は、ただ平素の鍛錬に力(つと)め、戦わずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平(ちへい)に安ずる者より直ぐに之を奪う。古人曰く、勝て兜の緒を締めよ、と
我らが、真に一念、お国の為に、今度の一戦は、勝たねならないと、必死になって、準備しておいたので、天祐もあり、さらには、神助もあり、何も彼も、好都合に運んだわけである
天は正義に与し、神は至誠に感ず
わしは、天祐や神助が、必ずあるものと、信じている。ただ、それは、正義あっての天祐、至誠あっての神助だ
不精にわたるなかりしか(何をするにもめんどうくさがっていないか)
海から来る敵は海にて防ぐべし
軍備に制限は加えられても訓練には制限はありますまい

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