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伊集院静の名言

伊集院 静(いじゅういん しずか、1950年〈昭和25年〉2月9日 - )は、日本の作家、作詞家。 伊集院 静は作家としてのペンネームである。作詞家としての筆名は伊達 歩(だて あゆみ)。 本名(戸籍名・日本名)は、西山 忠来(にしやま ただき)。男性。
いつも何かを模索し、何かを求め、手をさしのべておかないと運は降りてこない。

いつまでもオレが不運だ。不幸だと思っていたら、死んでいった人の人生まで否定することになってしまう
自分に言葉が足りないから、本の中に新しい言葉を求めるんだ。新しい言葉を見つけることは、新しい世界を見つけることだ
人から受けた恩は、その人には返せないのが世の中の常らしい。親孝行ひとつを取ってみてもそれはわかる。
世の中の肌触りを覚えるには理不尽と出逢うのがいい
許してあげられない自分を嫌いになる必要もない
最悪の人を亡くして絶望の淵にいても、時間はいつかその気持ちを和らげ、新しい光さえ見せてくれる
人生というのは、あっちでぶつかり、こっちでぶつかり、ちょっと涙したり、こっちでずるずると倒れたり、そういう遠回しになるような人生の方が豊か
誰しもが辛い時間と遭遇しているのが人生
自分以外の人、生きているものの痛みを分かる子どもにすれば、教育の半分はできたと考えなさい
愉しみなさい。人生はアッという間に過ぎてしまうから。でも焦っちゃダメだ。ゆっくりと急げばいい
人生を懸命に生き、そこで経験した苦しみや悲惨なものは、たとえ学問や教育を受けておらずとも、家族が生き抜く哲学、歴史観を作る
許す事でそこから何かがはじまる
人生にも仕事にも、先が見えない時がある。目の前に闇しか広がっていないように映るものだ。でもそれは誰しも同じなのだ
人は自分だけの為に生きているのではない
自分に消すことができない感情があることを個性だと捉えた方がいい
幸せだけの人生などない
苦しみ、哀しみを体験した人たちの身体の中には、別離した人々が、いつまでも生きていて、その人の人生の力になっています。だからこそ懸命に生きねばならないのです。私は今、さよならが与えてくれた力を信じています
人間というのは哀しいかな、辛酸を味わう時に真の姿が見える事が多い
大人とは、一人できちんと歩き、自分と自分以外の人にちゃんと目を向け、いつでも他人に手を差しのべられる力と愛情を持つ人だ
親は無条件で己のことよりも子供の幸せを考える。そのことが子供の頃、私にはわからなかった。
生きている限り、許せないものに出逢ってしまう。許せないものに出逢うのが生きること

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