信用というものの下限は安心感で、上限は期待感。
失敗のリスクは大きい、しかしともかく冒険をしなければ、成功のチャンスを手に入れることができないのです。
時代の流行りとは関係なく、いつの世も変わらずお客さまが望んでおられるものがあります。それは、心からの気持ちよいサービスを得られることです。
仕事の中に、考える、仮説を立てる、という要素を加えると、人は俄然、やる気を出し、活き活きしてきます。
小売業者がお上意識を持ち始めたら、間違いなく衰退への道をたどり始めたと言っていいでしょう。
お客様は来てくださらないもの。お客様は来るものと思い込んでいてはいけない。
会社は利益より信用が大事。
最初から出来上がったものを持つのではなくて、いつも改善し直していきながら一つのものをつくり上げていく。そういう気持ちを捨てなかった。
借りた金は返すもの、取引先への支払いはきちんとするもの、社員の給料は毎月払うものと考えたら、経営とはそんな生やさしいものではないことが分かります。
どれほど一生懸命に作られたものであっても、売れない物は売れない。
商人が漢字や難しい言葉でものを考えるようになると現場から遠くなっている。
出来る限り下の人の力を引き出すようにやってください。
常にアンテナを高くして全体を見る。
出来る限り下の人の力を引き出すようにやってください。
商いというより人間としての基本を、毎日飽きずに繰り返してきたと申し上げる以外にないのです
どれほど一生懸命に作られたものであっても、売れない物は売れないというのが商売の世界です。商いというのは自分たちが作ったもの、提供したものに対して、お客様が価値を認めてくれて初めて成り立つ。
失敗のあと始末とは別に、失敗しないための前始末というのも大事ではないかと思います。失敗を極度に恐れる必要はありませんが、失敗せずにことが運ぶにこしたことはないからです
私は昔、お客様を一瞥しただけで何を欲しがっているかがわかったんです。締めているネクタイの柄でどんなモノを買いそうか予想がついた。モノが売れないとか言ってるけど、それは本当の意味でお客様のことを見ていないからではないでしょうか。
不況だ不況だと言っても、昭和二年の不況からすればまだまだ経済に余力はありますし、終戦のときのことを思えば、いまの生活がどれだけ豊かになったかがわかるでしょう。むしろ豊かになりすぎてしまい、その豊かな生活からモノの価値を考えるようになってしまった点にも問題があるんです。
私が小学生くらいの頃でしょうか、おやじが道楽ばかりするので、よく夫婦喧嘩をしていました。母親は喧嘩して涙を流していても、お客様の前に出ると一転して笑顔になりました。もしお客様に泣き顔なんか見せると、あの店は暗いといって次から買いに来てくれない。商売とはそういうものだというのを教わりました。
私は母から「ないない尽くしのプレゼント」を贈られたと思っています。お客様は来てくれないもの、取引先は商品を卸してくれないもの、銀行は貸してくれないものだと思えという教えです。
一番大切なのは信用であり、信用の担保はお金や物ではなく人間としての誠実さ、真面目さ、そして何より真摯さである。
商人が漢字や難しい言葉でものを考えるようになると現場から遠くなっている。
商売は運・根・鈍でやらないと絶対に成り立たない。運は環境に対する適応、根はお客様から信頼されるまで根気よく努力すること、そして鈍はあまり利口すぎてはいけないということだ。イトーヨーカ堂は一時、多くの企業が多角経営を目指した時も、店ひと筋で通した。
時代の流行りとは関係なく、いつの世も変わらずお客様が望んでおられるものがあります。それは、心からの気持ちよいサービスを得られることです。
お客さま一人一人に対する心くばりは、なににも増して重要な前始末ではないでしょうか。これなくしては、商売は成り立たないとさえ思います
植物はたった一本では決して生きてゆけないのだそうです。多くの植物が集まっていることによって、お互いが利益を得、共存しているのです。これは人間社会とて同じだと思います。
私はたくさんのことを松下(幸之助)さんから学びました。ですから松下さんの著作を読み解きながら本質を学ぶことはとても大事なことだと思います。
私は商人だから誰にでも頭を下げるんだ