エンターテインメント お笑い

上岡龍太郎の名言

上岡 龍太郎(かみおか りゅうたろう、1942年〈昭和17年〉3月20日 - )は、日本の元漫才師、元司会者、元タレント。上岡劇団座長。 本名は小林 龍太郎で、旧芸名は横山 パンチ、伊井 パンチ。 その他、講談師旭堂 南蛇(なんじゃ)、落語立川流Bコース高座名・立川右太衛門を持つ。また、作詞家としての別名義に「三池嵐次郎」がある。京都府京都市左京区出身。三人姉弟の長男で姉と異母妹がいる。血液型はAB型。 1959年、「横山パンチ」の芸名で、横山ノック・横山フックとのトリオ芸人『漫画トリオ』として大阪でデビュー。漫画トリオ解消後の1970年代からは『探偵!ナイトスクープ』や『鶴瓶上岡パペポTV』(パペポ)などテレビ司会者として活躍。元々は全国進出の考えはなかったものの、パペポでのトークが評判となったことから1990年代には東京にも進出を果たし、東京では『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などで活躍したが、同時期より「俺の芸は21世紀には通用しない」と語り、その公言通り20世紀の最後の年となる2000年をもって引退した。 長男は映画監督の小林聖太郎。兄弟漫才コンビのミキは甥(異母妹の長男・二男)にあたる。
結婚して10年経って結婚前より妻が不細工になったとしたら、その8割は男の責任である。

スポーツっていうのはね、上手い人ほど楽しいんです
悪い事をした連中を責めるのは、バカでも出来る。しかし、悪い事を仕出かす仕組みを解析するのは、バカではまず出来ない。
苦しい時は登っている時。自分が凄いと慢心した時は、下っている時だから気を付けろ。
エスカレーターに乗っても歩きなさい。自分を機械に任せたら終わりです。
テレビで何が面白いか言うたら、素人が芸をするか、玄人が私生活を見せる、この、二つに一つ
金がいるのは、子育てと見栄のため。それ以外に金はいらない。
お金がいるから働くというけれど、逆だ。働くからお金がいるのであって、働かなかったらお金はいらない。見事にいらない。
若い時の苦労は買ってでもしろと言いますが、それは違います。苦労なんか買わんでもどんどん向こうからうやってきます。
ノックさん、あなたは僕の太陽でした。あなたの熱と光のおかげで、僕は育ちました。あなたの温かさと明るさに包まれて、生きてきました。ノックさん、あなたはみんなの太陽でした。
芸は一流、人気は二流、ギャラは三流
大人たちがどれだけボロクソに言おうが気にする必要は全くないということをプレスリーは教えてくれました
フツーの人のレベルの定価の原因の一つは、「内と外」の区分けがなくなったことにある。とりわけ「外」の意識が若い層にない。みんな、どこでも家の中のように振る舞っている。それが美しくない。
涙を人前で流すということは恥ずかしいこと
客はやっぱり客でね、それだけの客としての存在価値があるんやから
ボクの芸は20世紀で終わり。21世紀には新しい人生を歩みたい
誰にも伝えようと思わなければ、見たまま、聞こえたままの実像が、脳内を自由自在に駆け巡り、それがつぶやきとなって出てくるのだから強烈になる。
生きることは、どこかで世の中に貢献することです。お笑い芸人にでも、人々に、ものの見方を変え、価値観を点灯させてみせると、世の中が違って見えることを示唆する、極めて形而上学な役割があります。
人間は死ぬ。必ず死ぬのだけれども、今すぐに死ぬわけではないということだ。死ぬには、間がある。この間があるということを、決しておろそかにしてはいけない。
恵まれない天才、上岡龍太郎です
夏の暑い日は道の真ん中を歩け。冬の寒い日は道の端っこを歩け。そうすれば、世の中は受け入れてくれる。
芸人ってのは落ちこぼれです。社会のはみ出し者。アウトロー、いわば暴力団と一緒です。やから、我々芸人とヤクザは一緒。芸人とヤクザが癒着したらアカン言うけどウソ。根が一緒だから癒着も何もない、元々同じタイプの人間やからね

-エンターテインメント, お笑い
-, , ,