およそ何事をなすにも、至誠をもって基礎としなければ、成功させることはむずかしいのである。
波多野 鶴吉(はたの つるきち、安政5年2月13日(1858年3月27日)- 大正7年(1918年)2月23日)は、明治・大正期の実業家。郡是製絲(現:グンゼ)の創業者、第2代社長。兄は衆議院議員、郡是製絲初代社長第7代羽室嘉右衛門。弟は比叡登山鉄道株式会社初代社長羽室亀太郎。養子に参議院議員、郡是製絲第4代社長波多野林一。義理の甥に衆議院議員岡田泰蔵。孫は哲学者の波多野一郎。 先祖は丹波国多紀郡の大名、波多野氏。波多野秀治の弟、波多野秀香(二階堂秀香)の後胤。