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福澤諭吉の名言

福沢 諭吉(ふくざわ ゆきち、旧字体: 福󠄁澤 諭󠄀吉、天保5年12月12日〈1835年1月10日〉- 明治34年〈1901年〉2月3日)は、幕末から明治期の日本の啓蒙思想家、教育家。慶應義塾の創設者。諱は範(はん)。字は子圍(しい)。揮毫の落款印は「明治卅弐年後之福翁」。雅号は、三十一谷人(さんじゅういっこくじん)。 もともと苗字は「ふくさわ」と発音していたが、明治維新以後は「ふくざわ」と発音するようになった。現代では「福沢諭吉」と表記されることが一般的となっている。なお「中村諭吉」と名乗っていた時期がある。
家の美風その箇条は様々なる中にも、最も大切なるは家族団らん、相互にかくすことなき一時なり。

結婚は人生の重大事なれば、配偶の選択は最も慎重ならざるべからず。
天は人の上に人を造らず
人の下に人を造らず
進まざる者は必ず退き、
退かざる者は必ず進む
活用なき学問は無学に等し
学問は米をつきながらも出来るものなり
学問の本趣意は読書のみにあらずして、精神の働きに在り
学問をするには分限を知る事寛容なり。
一家は習慣の学校なり。父母は習慣の教師なり。
自分の力を発揮できるところに、運命は開ける
信の世界に偽詐多く、疑の世界に真理多し
ペンは剣よりも強し
努力は、「天命」さえも変える
今日も、生涯の一日なり
賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによって出来るものなり
自由と我儘(わがまま)との界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり
人は他人に迷惑を掛けない範囲で自由である
空想はすなわち実行の原案
理想が高尚でなければ活動もまた高尚にはならない
人は、ながらに、貴賤貧富の別なし。ただ、良く学ぶ者は、貴人となり、富人となり、そして、無学なる者は、貧人となり、下人となる
顔色や容貌をいきいきと明るく見せることは人間としての基本的なモラルである
社会共存の道は、人々自ら権利をまもり幸福を求むると同時に、他人の権利幸福を尊重し、いやしくもこれを侵すことなく、もって自他の独立自尊を傷つけざるにあり
進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む
独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり
人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。とかく、あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし
人間は、負けるとわかっていても、戦わねばならない時がある。だから、たとえ負けても勝っても、男子は男子なり。勝負をもって人物を評することなかれ
学問の本質は学問を自分がどう活用できるかにかかっている。現実社会に応用できないような学問は無学と言われても当然である

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