歴史 大名

伊達政宗の名言

伊達 政宗(だて/いだて まさむね)は、出羽国(山形県)と陸奥国(宮城県・福島県)の武将・戦国大名。伊達氏の第17代当主。近世大名としては、仙台藩(宮城県・岩手県南部)の初代藩主である。
朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。

仮初にも人に振舞候は、料理第一の事なり。何にても、其の主の勝手に入らずば、悪しき料理など出して、差当り虫気などあらば、気遣い千万ならん。
時を移さずに行うのが勇将の本望である。早く出立せよ
朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし。元来客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ。
馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である。
わきて釣りには他念なきものなり。太公望、おもしろがりたるも道理かな。罪も報(おくい)も後の世も忘れはてておもしろやと、げにさもあらずるものを。
今日行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申すがよし。
仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐれば諂(へつらい)となる。智に過ぐれば嘘を吐く。信に過ぐれば損をする。
料理心のないものは、情けない心の持ち主である
人の上に立つ者の一言は、深き思慮を伴っていなければならない。軽率な発言などもってのほかである。
仮初にも人に振舞候は、料理第一の事なり
物事、小事より大事は発するものなり。油断すべからず。
心に気にかかる物のない時は、心は広く体も安らかである
おのおのの申すことはもっともだが、延引することも時と場合による。今は火急の時だ。わからぬ将来のことを心配しているより、まず目前のことをする
勇をたのみにがむしゃらに相手を選ばず戦っている。これは弱冠の者の行為である。強い相手を避け、弱い者を選んで戦い、進退のツボを心得る。これは壮年にならなければ出来ぬことだ。
大事の義は人に談合せず、一心に究めたるがよし。
茶器を割ったのではない。自分の器量の小ささを割ったのだ
歴史を読めば、最大の敵は外からは来ない。不平分子が家を亡ぼすのだ。
まともでない人間の相手をまともにすることはない。
気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし。
曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く
人がこの世へて百万長者も、最後に及んで要する所は、方六尺の穴一つ、戒名を刻んだ石碑一つで、家も、倉も、金も、地所も、妻も、子も、すべてを残して、死出の旅路をただ一人辿る。曾(かつ)て我が者と思ったもの、一として我に伴うはない。我は客人であったのである。

-歴史, 大名
-,