歴史 将軍

徳川家康の名言

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川 家康)は、室町時代後期(戦国時代)から江戸時代初期の日本の武将、戦国大名。江戸幕府初代征夷大将軍。安祥松平家5代当主で徳川家や徳川将軍家、徳川御三家の始祖。織田信長との織徳同盟を基軸に勢力を拡大。豊臣秀吉の死後に引き起こした石田三成との関ヶ原の戦いに勝利し、豊臣氏に対抗しうる地位を確立。1603年に後陽成天皇により征夷大将軍に任じられ、264年間続く江戸幕府を開いた。関ヶ原の戦いの後も、領地を削減されたとはいえ豊臣氏(豊臣秀頼)は一定の力を有していたが、方広寺(京の大仏)に納める梵鐘の鐘銘を巡る一連の紛争である方広寺鐘銘事件を契機として豊臣方と開戦し(大坂の陣)、1615年に大坂夏の陣により豊臣氏を滅ぼし、全国支配を磐石なものにした。三英傑の1人である。ちなみに徳川家康とは短縮名であり、『徳川次郎三郎源朝臣家康』が正式名である。これを区分すると、「徳川」が名字、「次郎三郎」が通称、「源」が姓(かばね)、「朝臣」が家格を表す姓、「家康」が名前となる。
勝事ばかり知りてまくることをしらざれば害其身にいたる。

人の一生は、重き荷を負うて遠き道をゆくがごとし。いそぐべからず。不自由を常とおもへば、不足なし。
正月暁天より、その歳の大晦日と心得ること。
平氏を亡す者は平氏なり。鎌倉を亡ぼしたのは鎌倉幕府だ。
一人して事を埒明けたがるように致す、これ大なる病なり。
人間は、最も多くの人間を喜ばせたものが最も大きく栄えるもの。
怒りは敵と思え。
道理に於いて勝たせたいと思ふ方に勝たすがよし。

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