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高村光太郎の名言

高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年〈明治16年〉3月13日 - 1956年〈昭和31年〉4月2日)は、日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。本名は高村 光太郎(たかむら みつたろう)。父は彫刻家の高村光雲。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る。

いのる言葉を知らず/
ただわれは空を仰いでいのる/
空は水色/
秋は喨喨と空に鳴る
重いものをみんな棄てると/
風のように歩けそうです
新郎と新婦と手をとりて立てり
汝等は愛に燃え、情欲に燃え
絶大の自然と共に猛進せよ
智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ
いったん此世にあらわれた以上、美は決して滅びない
人を信じることは人を救う。
女が付属品を棄てるとどうしてこんなにも美しくなるのだろうか。
一生を棒にふって人生に関与せよ。
自然に向へ 人間を思ふよりも生きた者を先に思へ 自己の王国に主たれ 悪に背け。
変態とは僅かに我々と、一歩を隔てたもののことである。
進歩は実に遅く不確かなものです。やがて出しぬけにそれがひらかれます。人は前に出ます。けれども暗中模索の幾年かあとの事です。
おれは思ふ、人間が天然の一片であり得る事を。おれは感ずる、人間が無に等しい故に大である事を。ああ、おれは身ぶるひする、無に等しい事のたのもしさよ。無をさへ滅した必然の瀰漫よ
わがこころはいま大風の如く君にむかへり。
母を思ひ出すとおれは愚にかへり、人生の底がぬけて怖いものがなくなる。どんな事があらうともみんな死んだ母が知つてるやうな気がする
老人になって死でやっと解放され、これで楽になっていくという感じがする。まったく人間の生涯というものは苦しみの連続だ。
牛はのろのろと歩くどこまでも歩く自然に身を任して遅れても、先になっても自分の道を自分で行く
土壌は汚れたものを恐れず 土壌はあらゆるものを浄め 土壌は刹那の力をつくして進展する
予約された結果を思ふのは卑しい。正しい原因に生きる事、それのみが浄(きよ)い
悪魔に盗まれそうなこの幸福を明日の朝まで何処へ埋めて置こう
道端のがれきの中から黄金を拾い出すというよりも、むしろがれきそのものが黄金の仮装であったことを見破る者は詩人である
私はあなたの愛に値しないと思ふけれど あなたの愛は一切を無視して私をつつむ
一生を棒に振りし男此処(ここ)に眠る。彼は無価値に生きたり。

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