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正岡子規の名言

正岡 子規(正岡 常規)(まさおか しき、〈まさおか つねのり〉、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面にわたり創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治を代表する文学者の一人である。
病気の境涯に処しては、病気を楽しむという事にならなければ生きて居ても何の面白みもない。

生きている限り、人間は全てを奪われることはない。
死ぬまで、ひっこむわけにはゆかない。
棺の前にて通夜すること無用に候。棺の前にて空涙は無用に候。談笑平生のごとくあるべく候。
病床六尺、これが我が世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。
禅の悟りとは、いつでも、どこでも死ぬる覚悟ができることだと思っていたが、よく考えてみると、それは大変な誤りで、いかなる場合でも、平気で生きることであることがわかった。
駄句は捨てずに書きとめておかねばならない。自分のつくった句を粗末にして書きとめておかぬひとは、とてものこと、一流の作者にはなれない
巧を求むるなかれ、拙を蔽うなかれ、他人に恥ずるなかれ。
世間恐るべきは猛獣毒蛇にあらず、壮士暴客にあらず。ただ勉強家と沈黙家と謙遜家とのみ。
病気の境遇に処しては、病気を楽しむということにならなければ、生きていても何の面白味もない。
為すべきと思ひしことも為し得ぬこと多く、為すべからずと信ぜしこともいつかはこれを為すに至ることしばしばなり
明治維新の改革を成就したものは、20歳前後の田舎の青年であって、幕府の老人ではなかった
文章は簡単ならざるべからず、最も簡単なる文章が最も面白きものなり
死は恐ろしくはないのであるが苦が恐ろしいのだ。
美しき花もその名を知らずして文にも書きがたきはいと口惜し。
黙ってこらえているのが一番苦しい。盛んにうめき、盛んに叫び、盛んに泣くと少し苦痛が減ずる
自個の著作を売りて原稿料を取るは少しも悪き事に非ず。 されどその著作の目的が原稿料を取るといふ事より他に何もなかりしとすれば、著者の心の賤しき事いふまでもなし。
世の中の 重荷おろして 昼寝かな
見る所狭ければ自分の汽車の動くのを知らで、隣の汽車が動くように覚ゆる。
この百日という長い月日を経過した嬉しさは人にはわからんことであろう
たとえ、漢語で詩をつくるとも、西洋語で詩をつくるとも、はたまたサンスクリット語でつくるとも、日本人が作った以上は、日本の文学であることに間違いない。
人間よりは花鳥風月が好きなり。
人の希望は、初め漠然として大きく、後、ようやく小さく確実になるならびなり

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