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国木田独歩の名言

国木田 独歩(くにきだ どっぽ,1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。 幼名を亀吉、後に哲夫と改名した。筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがある。 田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟客」を発表。詩や小説を書き、次第に小説に専心した。「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯(じゃがいも)」といった浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる。また現在も続いている雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されている。夏目漱石は、その短編「巡査」を絶賛した他、芥川龍之介も国木田独歩の作品を高く評価していた。ロシア語などへの翻訳がある。
実行せざる思い付きは空想と称し、又た妄想と称す。

忍耐と勤勉と希望と満足とは境遇に勝つものなり。
読書を廃す、これ自殺なり。
男女が相愛して肉欲に至るは自然なり、肉交なき恋は、事実にあらずして空想なり。
どの路でも足の向く方へゆけば必ずそこに見るべく、向くべく、感ずべき獲物がある。
富と功名!これ実に誘惑なり。吾は日々この誘惑に出あう。
人は世間から出て世間の中に葬られて了うのではない、天地からて天地に葬られるのである。
朝日が波を躍出るような元気を人はいつも持っていなければならぬ。
人生は戦場なり。何物、何事、何人に対しても仇討ちの覚悟をもって戦うべし。死すとも勝つの覚悟あれ。
汝の熱心を誇るなかれ、真面目を誇るなかれ。真面目という心持ちは、大して価値あるものにあらざるなり。
人の力をもって過去の事実を消すことの出来ない限り、人は到底運命の力より逃れることは出来ない。
人はどんな場合に居ても常に楽しい心を持ってその仕事をすることが出来れば、即ちその人は真の幸福な人といい得る。
人間とは自分の如き者なり、余りに其の前に茫然たる勿れ、社会とは人間の集合せる所なり
人は人以上の者になることはできない、しかし人は人以上の能力の全部を尽くすべき義務を持っている。この義務を尽くせばすなわち英雄である。
人生は戦場なり。戦いを宣告したうえは、書に向かっては書を征服し、人に向かっては人を征服し、事業に向かっては事業を征服するまで止むべからず。何物、何事、何人に対しても仇討ちの覚悟をもって戦うべし。死すとも勝つの覚悟あれ
女は三ヶ月経つと飽きてしまう。夫婦なら仕方ないからくっついているが、あくびをかみ殺してその日を送っているにすぎない。
僕は時間の長短が人の真の交わりに関係するとは信じない
自由は飲んで尽くることなき希望の泉を予想せしむ
自分を生んだから自分の母だ、母だから自分を育てたのだ。そこで親子の情があれば真実の親子であるが、無ければ他人だ。
友を得るに急なる勿(なか)れ。親友は自然に得る者なり。
道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向く方へゆけば、必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。
人は不幸と下劣と醜悪とを甘受して始めて幸福と善美とを得ん。

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