文芸 エッセイスト 歌人

吉田兼好の名言

吉田 兼好(よしだ けんこう)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。治部少輔・卜部兼顕の子。卜部兼名の孫。本名は卜部 兼好(うらべ かねよし/うらべ の かねよし)。鎌倉および京都に足跡を残す。旧来、吉田神社の神官の家系である吉田流卜部氏の系譜に連なると考えられてきたが、資料の見直しにより、その根拠となる家系図が吉田兼倶による捏造ではないかという見解がある。吉田神社の系譜に連なるという説に基づき江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。また出家したことから兼好法師(けんこうほうし)あるいは単に兼好(けんこう)とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書では「兼好法師」と表記される。日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者。私家集に『兼好法師家集』。
如何をも捨て字と心に取り持ち手は、一事も成るべからず。

おのが分を知りて、及ばざる時は、速やかに止むを智といふべし。
何事も入りたたむさましたるぞよき。
心は必ず事に触れて来たる。
不安と心得むるのみ、まことにて遠はず。
いかなる女なりとも明け暮れ添い見んには、いと心づきなく、憎かりなん。
改めて益なきことは改めぬをよしとするなり。
大欲は無欲に似たり。
我を知らずして外を知るということわりあるべからず、されば己を知るものを知れる人というべし。
病を受くることも多くは心より受く。外より来る病は少なし。
心なしと見ゆる者も、よき一言はいふものなり。
しやせまし、せずやあらましと思う事は、おおようはせぬがよきなり。

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