自分が決めたことを何でもやるし、自分には限界がない
僕には僕なりのプレーがあって代表にいるわけで、僕には赤石選手にないプレーができる。そういうことを信じてやっているうちは、負の考えやマイナス思考は1ミリもないですね。そういう下の世代からの突き上げっていうのは初めての経験ですけど、すべてポジティブです
僕は2020年の開催が決まった時は、14歳でした。「東京」という目標があったからこそ、ここまで成長できたという実感を持っています
僕はある局面でチームが成功を収めるため、効率的にプレーするために、すごく冷静に思考を働かせることができる
僕の考えの根本にあるのは勝つことよりも、大前提として楽しいってことです。だからクラブチームと日本代表チームとのレベルの違いで、難しさを感じるようなことはありません
レベルの高い選手たちと一緒に毎週、試合ができるっていう生活を単純に過ごしてみたい
リオに向けて合宿に参加して、帰ってきて練習して、その繰り返しの生活を僕としては100%がんばったつもりだったのに、いざ蓋を開けたら世界で9位。ぜんぜん通用しないじゃんって、挫折というか、大きな壁を目の当たりにしたような気持ちになった
僕がやりたいことがあれば必ずなんでもやらせる、もしできなければできる方法を探していく、というルールのようなものをつくってくれたんです。それは今の僕の考え方にも大きな影響を与えている
僕の場合、スタートラインに立ってから、レースが終わるまで何も聞こえません。完全に無音の中を走っていて、ゴールした瞬間にパッと歓声が聞こえ出す感覚です。
小さい頃から負けず嫌いの気質があって、たとえ遊びでも自分が納得できないと、とことん納得するまでやるような子どもだった
シュートに関してはこの先輩に勝つ、スピードに関してはこの先輩に勝つって、一つひとつ目標を立てていってすべて制覇してやろうと
自分よりうまい選手がいるのが悔しい。コート上の誰よりもうまくなってやる
東京パラでしっかり結果を出して、海外のプロに行きたい
できなくてイヤになるというよりは、そういう悔しさの感情のほうが大きかった
最初の頃は競技用の車いすをうまく乗りこなせなくて、ターンできずに転倒したりとか、遊び道具として捉えていたところもあって。それでどんどんのめり込んでいったのかなって思います
特に障がいの重い、持ち点2.5の僕のようなローポインター(2.5以下)がどれだけ活躍できるかは試合展開にも大きく関わってきます
リオにいたるまで僕が犠牲にしてきた高校生活とか、一体なんだったんだろうと。それなのにまったく僕が望んでいた結果じゃなかった
最初に車いすに乗ってプレーさせてもらった時、僕はできないのに周りのおっちゃんたちがみんなできてるっていう状況が悔しくて、悔しくて
自分の中で満足できる基準みたいなのがあって、それをクリアしないと気が済まないというか。でも、基本的には楽しいからやってる
長く日本代表チームの中でも最年少で、勢いやアグレッシブささえあればチームにいることが許されていたというか。みんなに支えながら、それに感謝してワイワイ楽しくやってこられましたけど、逆にそれに甘えすぎていた
僕が納得できるようなプレーでなくても、結果チームとして納得できるもの、チームにとっての貢献度が高いプレーっていうものを意識するようになった