藤子不二雄Aの名言

藤子不二雄A

映画を作るとなると莫大なお金がかかるけど、漫画だったらひとりでも映画のような壮大な物語を描くことができる。

僕は20過ぎていろんな遊びを覚えたもので、そのまま子供漫画を描き続けるのが難しくなってきた。それで「笑ゥせぇるすまん」のような青年漫画に転向したのですが、それがうまく時代の流れに同調していたのか、おかげで今の自分があるのだと思います。
当時、周りから「喧嘩別れをしたんだろう」とといろいろいわれましたが、そんなことはなにもなかった。
子どもの夢と願望はすべての人間の基本。
人間のモチベーションが下がるのって、何かをやらされているときです。逆に、自主的に何かをやっているときは、自然と上がっているものです。ところが、僕らの日々の生活は義務感だらけです。たぶんそれが1日の中に何百もあるので、やる気が出ないのは当たり前なんです。
どうしても気分が乗らない日は、無理しないで帰っちゃう。いざとなれば火事場のなんとかで、くぐり抜けられる。
漫才コンビはコンビをつくるために一緒になるが、ボクらはたまたま偶然知り合って漫画を描き始めたんで、ふたりの間には打ち合わせも契約もなかった。藤本君(藤子・F・不二雄
綺麗事でもなんでもなくてね、お金なんて関係なかったんですよ。僕らは30円のラーメンを食えれば、それでよかった。それ以上のお金なんか欲しくない。それよりも、ただ漫画が描きたいし、みんなでワイワイやっていたかった。
いろんな人とのつきあいのなかで、自分の体験をもとに、リアルな心理状態を描くことがおもしろくなってきた
子供のころは家にこもって漫画ばかり描いている内向的なタイプだった
原稿を落とした新人にそこまで親身に言ってくれる人なんて、テラさん(寺田ヒロオ)以外にいませんよ。胸に響きました。それ以来何十年も、僕らは一度も原稿を落としたことがありません。
ジャズの即興演奏みたいに、一気にイメージがわいてくる。そうやって自分に素直に生きてきたから、50年も好きな漫画を描いてこられたんだろうなあ
映画に限らず、外部からの刺激や、人間への興味が、僕にとっては漫画創作の源になっています
人は職業につくのに 適正と不適正というものが先天的にあると思う! おれの場合サラリーマンは不適格なんだ!
漫画家というのは、いくら努力して描いても読者に喜んでもらえなければなんにもならない。だから、多かれ少なかれ読者を意識して描くものですが、彼(藤子・F・不二雄
頭だけでマンガを描くと、きれいごとで終わってしまうことが多い
日本を一生懸命つくってきた同世代が弱っていく寂しい時代になりました。僕自身も高齢ではありますが、漫画を描く体力が残っていれば、ぜひシニア世代の人が元気づけられるような漫画を描きたい
藤本くん(藤子・F・不二雄)は本当に才能のある人で、まじめで、僕と違って全然遊びをやらない人物でした。だからこそ、いくつになっても「ドラえもん」のような純粋な漫画を描けたのだと思います。
自分にとって描きたいもの、楽しいものを描く。それが結果として子供たちに受け入れられたんです。そういう意味でボクは彼を天才だと思います
若い人の作品を見ても、「こんなすごい漫画、自分には描けないな」と感心するし、その進化は喜ばしい限りです。
水木しげる先生亡きあとの日本漫画界では、自分が最長老。それが唯一の自慢
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