恋の秘訣。それは疑わないこと、耐えること。
恋は遅くくるほど烈しい。
汝が幸せである限り、汝は多くの友を持つが、雲行きが悪くなると孤独になろう。
金と恋は人を鉄面皮にす。
墓に入るまでは、人間は幸福なりと称すべきにあらず。
幸運と愛とは勇者とともにあり。
プーブリウス・オウィディウス・ナーソー(ラテン語: Publius Ovidius Naso, ラテン語発音: [ˈpʊː.blɪ.ʊs ɔˈwɪ.dɪ.ʊs ˈnaː.soː]; 紀元前43年3月20日 - 紀元後17年 または18年)は、帝政ローマ時代最初期の詩人の一人。共和政末期に生まれ、アウグストゥス帝治下で平和を享受し繁栄するローマにて詩作を行った。エレギーア形式で詠まれた『愛の歌』や『恋の技法』などの恋愛詩集や、叙事詩の形式で詠まれた『変身物語』などがよく知られている。『変身物語』は15巻12000行あまりの大作で、韻律としてヘクサメトロスを用い、神話伝説上の数々の変身譚を語る。一般にギリシア・ローマ神話の集大成と受け取られている。 存命中から絶大な人気を博したオウィディウスであったが、紀元後8年にアウグストゥス帝の命により黒海に面した僻地に追放され、そこで生涯を閉じた。追放の理由はよくわかっておらず、文学史上最も不可解な事件の一つである。オウィディウス自身は追放の原因を「一つの詩歌と一つの過誤(carmen et error)に帰す」とだけ書いた。その言葉の選びようが意味深長であるからかえって、その意図するところをめぐって、後代の学者たちが膨大な議論を積み重ねることになった。 ラテン文学史上は「黄金の時代」の掉尾を飾る詩人とされる。オウィディウスの詩作品は後期古代から中世にかけての時代に多くの詩人に模倣され、西洋美術と西洋文学に絶大な影響を与えた。ウェルギリウスやホラティウスよりは一世代若い世代に属する。彼らの時代から下ること数十年後の修辞学者クインティリアヌスはオウィディウスを最後のラテン恋愛悲劇作家と評した。