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イチローの名言

イチロー(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう〉、1973年10月22日 - )は、愛知県西春日井郡豊山町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。現在はMLBのシアトル・マリナーズで会長付特別補佐兼インストラクターを務める。
「がんばれ、がんばれ」という人がいるより、僕は、「できないでくれ」という人がいる方が熱くなる。

「できなくてもしょうがない」は、終わってから思うことであって、途中にそれを思ったら、絶対に達成できません。
前向きに食事をし、前向きに買い物をした。何事も前向きに行動することが可能性を生む。
小さいことを積み重ねるのが、
とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。
少しずつ前に進んでいるという感覚は、
人間としてすごく大事。
自分で無意識にやっていることを、
もっと意識をしなければならない。
練習で100%自分を作らないと、打席に立つことは出来ません。
自分の形を見付けておかないと、どん底まで突き落とされます。
妥協は沢山してきた。
自分に負けたこともいっぱいあります。
ただ、野球に関してはそれがない
結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。
決してあきらめない姿勢が、
何かを生み出すきっかけをつくる。
第三者の評価を意識した生き方はしたくない。
自分が納得した生き方をしたい
決して人が求める理想を求めません。
人が笑ってほしいときに笑いません。
自分が笑いたいから笑います。
「たのしんでやれ」とよく言われますが、
ぼくにはその意味がわかりません。
特別なことをするためには普段の自分でいられることが大事です。
どんな難しいプレーも
当然にやってのける。
これがプロであり、
僕はそれに伴う努力を人に見せるつもりはありません。
やってみて「ダメだ」とわかったことと、
はじめから「ダメだ」と言われたことは、違います。
何かを長期間、成し遂げるためには
考えや行動を一貫させる必要がある。
演じている人は、すべてカッコよくなければいけない。
初心を忘れないことっていうのは大事ですが、初心でプレイをしていてはいけないんです。
成長した自分がそこにいて、その気持ちでプレイしなくてはいけない。
自分を殺して相手に合わせることは、僕の性に合わない。
まして上からいろいろ言われて、納得せずにやるなんてナンセンスだと思います
努力せずに何かできるようになる人のことを天才というのなら、僕はそうじゃない。
努力した結果、何かができるようになる人のことを天才というのなら、僕はそうだと思う。
手抜きをして存在できるものが成立することがおかしい。
成績は出ているから今の自分でいいんだ、という評価を自分でしてしまっていたら、今の自分はない 。
準備というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、 そのために考え得るすべてのことをこなしていく。
世の中の常識を少しでも変えるっていうことは、人間としての生き甲斐でもありますから。
アマチュアではないので、勝つことだけが目標ではありません。
プロとして自分がどういうプレイをするのかがすごく大事です。
今自分にできること。頑張ればできそうなこと。
そういうことを積み重ねていかないと遠くの目標は近づいてこない。
次に破るのも、また自分でありたい。
僕は決して「打率4割」とは言わないんです。6割の失敗は許してやるわ、と。いつもそう言っているんです。
自分が全く予想しない球が来たときにどう対応するか。それが大事です。
試合では打ちたい球は来ない。好きな球を待っていたのでは終わってしまいます。
ヒットを打った瞬間、自分の頭の中でレベルがあがった音がするんです。ドラゴンクエストみたいに。
毎日、力は振り絞っていますよ。余力を残そうとしていたら問題
肉体のストレスなんか大したことないんです。要はメンタルのストレスで疲れは決まる。
気持ちが落ちてしまうと、それを肉体でカバーできませんが、その逆はいくらでもあります。
過去のつみかさねがどれだけ大事なものかは、感じています。それがなければ、今の技術や精神は作られなかったのですから。
何かを達成した後は気持ちが抜けてしまうことが多いので、打った塁上では、「次の打席が大事だ」と思っていました。
調子がよくてもいいとはいいませんし、悪くても悪いとはいいません。それは見ている人で判断してください。
試合開始が遅れることを聞いて寝ました。こういうときのために自分の枕を持ってきています。
やらされる練習じゃなければ、いろんなことが、うまくまわってきます。
同じ練習をしていても、何を感じながらやっているかで、ぜんぜん結果は違ってくるわけです。
長く続く強い発見は、凡打をして、その凡打の理由がわかったときなのです。
自分の思ったことをやりつづけることには後悔がありません。もしそれでも失敗したとしても後悔は絶対にないはずですから。
自分自身が何をしたいのかを、忘れてはいけません。
考える労力を惜しむと、前に進むことを止めてしまうことになります。
人と違うことをやるというのが、ぼくの基本ですから。
ミスショットの原因は気持ちの中にあると思っていたのです。だけど違っていました。技術によるものでした。
満足の基準は少なくとも、誰かに勝ったときではありません。自分が定めたものを達成したときに、出てくるものです。
ぼくがいつもじぶんのことをあまりいわないのは、いいわけにきこえるからです。
相手が変えようとしてくるときに、自分も変わろうとすること、これがいちばんこわいと思います。
こういうときこそ、受けとめなくてはいけません。野球を投げてしまうことは、絶対にしてはいけません。
思うようにいかないときに、どう仕事をこなすかが大事です。
少し感覚を失ったときにどういう自分でいられるかなのです。苦しいですが、あきらめない姿勢があれば、なにかをつかむきっかけになります。
自分では「できるかどうか」は半信半疑です。いつも人が思うこととは温度差を感じています。
いろいろなこわさを知って、そのこわさを乗りこえて、自分の技術を確立して残した数字は、重みが違います。ただ、抗議しても判定は覆らないし、なんのメリットもありませんから。
苦しいことの先に、新しいなにかが見つかると信じています。
ぼくの中のスランプの定義というのは、感覚をつかんでいないことです。
どうやってヒットを打ったのかが問題です。たまたまでたヒットでは、なにも得られません。
「何を言うか」を重要視しているように見受けられる。でも、何を言うかではなく、本来は「誰が言うか」ですから。
ハイレベルのスピードでプレイするために、僕は絶えず体と心の準備はしています。自分にとって最も大切なことは、試合前に完璧な準備をすることです。
打てない時期にこそ、勇気を持ってなるべくバットから離れるべきです。勇気を持ってバットから離れないと、もっと怖くなるときがあります。そういう時期にどうやって気分転換をするかは、すごく大事なことです。
他人の記録を塗り替えるのは7割、8割の力でも可能だが、自分の記録を塗り替えるには10以上の力が必要だ。
自分のプレイに驚きはありません。プレイそのものは自分の力の範囲内です。
汚いグラブでプレイしていたら、その練習は記憶には残りません。手入れをしたグラブで練習をしたことは、体に必ず残ります。記憶が体に残ってゆきます。
キャンプでいろいろと試すことは、ムダではありません。ムダなことを考えて、ムダなことをしないと、伸びません。
特別なことをするために特別なことをするのではない、特別なことをするために普段どおりの当たり前のことをする。
今自分がやっていることが好きであるかどうか。それさえあれば自分を磨こうとするし、常に前に進もうとする自分がいるはず。
期待はいくらかけてもらっても構わないんですけど、僕は僕以上の力は出せないので、自分の力を目一杯出すしかないということですね。
結果が出ない時、どういう自分でいられるか。決して諦めない姿勢が、何かを生み出すきっかけをつくる。
人に勝つという価値観では野球をやっていない。
なりふりかまわないで自分の行きたい道を進むこと。
調子が悪い時こそ、全力でプレーすることが大事。
現役中に、過去のことを懐かしんではいけません。
自分の器が広がっているとは感じていません。自分の能力をどれくらい発揮できるかが変わったと思います。
大切なのは、自分の持っているものを活かすこと。そう考えられるようになると、可能性が広がっていく。

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