努力すれば報われる?そうじゃない 報われるまで努力するんだ
完全燃焼したにはしたけど、やっぱり辞める時は一番じゃないとオレじゃないな
なぜ泣きそうになるくらい練習するかというと、俺は勝ちたいという気持ちが誰よりも強いからです
格闘家以外でもそうだと思いますが、叱ってくれる上司がいるということは、それだけ楽な環境にいるわけです。注意されたことを直せばいいわけですから
練習前は、いつも緊張していました。なにせ 「今日、これから俺は死ぬほど苦しい思いをするんだな」 とわかっていますからね。楽にやろうと思えば緊張しないのですが、若かった私は絶対に練習では自分に厳しくしようと思っていましたから
見た人にとっても、1位であれば記憶に残りますが2位は記憶に残ることはない。「あ、そういえばいたね」という程度でしょう?意味がないんです、1位でなければ
公開練習だとか情報が出る時、敢えて三味線を弾く(調子が悪い)ふりをする選手とか。輪島さんなんか計量の時にマスクしてわざとゴホゴホやって(笑)そういう話聞いたことあります
反逆のカリスマとよく言われるんですが、実際は昔から俺は人の話をよく聞く素直な子でした
本当に強い人は、普段通りの表情をしている。それでオーラが十分出るんです
幸運を引き寄せる方法があるとしたら、それは笑顔でしょう いつも笑顔を絶やさない人の周りには、自然と人が集まってくるじゃないですか
引退試合とはいえ、いつもの試合と変わりませんでしたよ。いつもと変わらずに強い相手とやるという感じでした
誰のアドバイスも聞かない自分勝手な選手というのは、いつまでたっても自分の弱点がわからず、修正もできないので、バランスのいいファイターにはなれません
時間をかけて、あの一戦用の体を作って臨みましたから、コンディションはとても良かったです
「魔裟斗の試合は誰の試合よりも面白いな」 と感じてもらえないと、次の試合を見てもらえなくなりますからね
どんなに練習しても強くなれない選手はいます でも、この世界は才能だけじゃ勝てない 死ぬほど練習しなきゃ
すべて練習でやってきたことです。イメージ通りにパンチを当てることができましたね
何回やっても誰がきても、結果は一緒 ライオンがウサギを狩るように全力で潰す
俺は選ばれた人間だと思っていますけど、そういうふうに思い込めるのは、確かに才能かもしれません
最後の試合は、これが魔裟斗だとみんなの記憶に残る試合をすると決めたのです それには派手に打ち合ってKO勝ちするしかないでしょう
俺はいつも先に「こうする」というのを決めちゃうんです 人生って思ったことしか現実にならないんですよ
お客様あっての興行ですからね。あるべき道を、後進に伝えていきたいと考えています
「勝ち方」 にも、私なりの美学のようなものがありましたよ。お客様に盛り上がってもらうために、できれば倒して勝つことを常に狙っていました
「勝利」 というものは前提で、「どのような勝ち方をするか?」 が、私にとっては一番重要でしたね
俺はカッコツケマンだから、最後までカッコつけて辞めたい
ナンバーワン以外は負けたと思ってずっとやってきました
最近気付いたんですよ 人間の最大の喜び 人に必要とされること
自分のために頑張って結果を出せば、結局はそれが全体のレベルアップにもつながります
一番辛い道を進むのが、一番成功の近道
現役時代にチャンピオンになるという目標を持っていたように、今は今で大きな目標を持っていますから、ひたすらそこへと突き進むだけですね
基本的に、格闘家である以上、試合に勝つことは当たり前だと思っていました。負けることなど考えられないんです
強くなりたければ、自分の一番嫌いな練習や苦手な練習をやった方がいい 好きなことや楽なことばかりやっていたら、強くなれるわけがありません
これだけ練習したのだから負けることはない
闘うのはあくまで自分のため、家族のためです。会社員の方だって同じじゃないですか 会社のために働けなんていわれても力が出ないでしょう
もちろん年齢を重ねて、経験を重ねればそんな闇雲な練習はしなくなってきましたが、性分なんでしょうね、苦しくなければ練習じゃないと思っていましたからね。
お客さんが何が観たいか「頑張ります」じゃ面白くない。非現実的な戦いを見たいんで。自分で自分をプロモーション。
周囲を認める優しさと言いますか、世の中への見方が変わってきたことは、しかるべき変化だと受け止めてもいます
負けても次があるみたいにケロっとして、また試合に呼ばれて戦っている…そんなふうにだけは絶対になりたくない
難関から逃げずに挑んでいく。そのうち、自分にも人にも優しくなれる。優しさとは、強さの裏返しなのだと、今、私は信じていますね。
チームの皆に色々と支えてもらっての勝利でしたから。サポートしてくれたチームのスタッフには感謝しています。
周囲を認める優しさと言いますか、世の中への見方が変わってきたことは、しかるべき変化だと受け止めてもいます。