学者 儒学者

朱子の名言

朱 熹(しゅ き、建炎4年9月15日〈1130年10月18日〉 - 慶元6年3月9日〈1200年4月23日〉)は、中国南宋の儒学者。字は元晦または仲晦。号は晦庵・晦翁・雲谷老人・遯翁・紫陽など。諡は文公。朱子(しゅし)と尊称される。 本籍地は歙州(後の徽州)婺源県(現在の江西省上饒市婺源県)。南剣州尤渓県(現在の福建省三明市尤渓県)に生まれ、建陽(現在の福建省南平市建陽区)の考亭にて没した。儒教の精神・本質を明らかにして体系化を図った儒教の中興者であり、「新儒教」の朱子学の創始者である。 「五経」への階梯として、孔子に始まり、孟子へと続く道が伝えられているとする「四書」を重視した。 その一つである『論語』では、語義や文意にとどまる従来の注釈には満足せず、北宋の程顥・程頤の兄弟と、その後学を中心とし、自己の解釈を加え、それまでとは一線を画す新たな注釈を作成した。
大疑は大進すべし。小疑は小進すべし。疑わざれば進まず。

陽気発する処、金石も亦透る
道統の伝に於て、敢えて、妄議ぜずと雖も、然れども初学の士、或ひはこれを取ること有れば、則ち遠くに行き、高きに升るの一助たるに庶からんとしか云ふ
人の患難に於ける、ただ一箇の処置あり。人謀を尽くすの後は、却ってすべからく泰然としてこれに処すべし
却って愁ふ説きて無言の処に到りて 信ぜず 人間に古今あるを
他人と意見が違っているからといって、喜んだり、怒ったりしてはいけない。喜びや怒りの感情で用いるか捨てるかを決めてはいけない。
小人閑居して不善を為す
精神を一つに集中して事を成すのだ。
心情に敬の状態あれば、股体おのずと引き締まり、何も意識して加減せずとも、股体おのずから伸びやかにならん
物事が達成できない時まず自身の志を責めなさい。
始学の工夫は、須らく是れ静坐すべし。静坐すれば則ち本原定まる
「今日やらなくても明日やればいい」などという言葉は使ってはいけない。
聖人は太極の全体なり
議論をするにあたってはそのことの是非のみについて発言すべきである。自らの利害を計ってはいけない。
専ら力を人道の宜しき所に用ひて、鬼神の知るべからざるに惑はざるは、知者の事なり
無極にして太極ありとは、ただ形なく而も理あるをいう。無極なれば形なく、太極なれば理あり
臣子は身を愛して自ら佚するの理なし
人は欲がある時心の強さを失う。心の強い人は欲には屈しない。
カッとなって怒るようなことがあってはいけない。逆に道理が通っているならば、怒らないことがあってはいけない。
少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず
是において人と物との生、 おのおのその賦するところの理を得るによって、以って健順五常の徳をなす。いわゆる性なり
命は猶お令のごときなり。性は即ち理なり。天は陰陽五行を以って万物を化成す。 気は以って形をなし、理も亦これに賦す。猶命令のごときなり。
心は気の精爽なり

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